風水による企業再生論
企業破綻と再生の風水実践学(2003年9月14日更新)

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風水による予想作成者:古川令治fuusui@ha.bekkoame.ne.jp


「破綻と再生の風水三元九運理論」


私が起業し、社長を務める「アセット・マネジャーズ株式会社」は、創業2年間の決算で2002年11月に、ナスダック・ジャパン(現、ヘラクレス)最後の銘柄として上場した。上場初日の株価は、公募価格の2倍を越えて急上昇し、最終銘柄に相応しいデビューを飾った。更に、同社子会社は、2003年1月に、大証上場会社である新日本紡績株式会社(現、アセット・インベスターズ株式会社)をTOB(公開買付)により買収し、グループ化をした。

私が、アセット・マネジャーズ株式会社の筆頭株主として、短期間に、このような事業を実現できたのは、風水が予言する時代の潮流に乗れたからだと考えている。

私は、現在、アセット・マネジャーズ株式会社の株式の3割以上を保有している。これに要した自己資金は、1千万円であった。

風水には三元九運学説とういうものがある。風水三元九運学説は、時代の潮流を予言し、時代の潮流に乗れる条件を提示する。現代は、下元七運時代と呼ばれ、今年末が時代の最終年となる。この時代は、破壊、再生の20年間とされる。破壊の潮流の中心にいた人物は、再生のチャンスを与えられる。

私は、日本長期信用銀行の行員であった。1998年10月の同行破綻は、歴史的には大恐慌時代の台湾銀行破綻に並ぶ大事件であった。風水が予言する破綻の象徴的事件であった。私は、銀行が破綻した時点で、銀行に席があったことから、破綻直後に銀行を退職することによって、風水の予言する破綻の潮流に乗り、再生の主役になり得ると考えた。

アセット・マネジャーズ株式会社は、パンフレットやホームページに、創業メンバーを意識した漢詩を記載し、本社の青龍方位に風水壁掛龍、大久保事務所に風水羅盤を飾っている。

私は、破綻の潮流を受け、再生の時代の潮流に乗れた後は、風水世界の巨大な時代龍の頭に乗るチャンスがあると考えている。今後も、風水三元九運学説を初めとする風水中国語原書の研究を一層進め、龍頭に乗るチャレンジをしたい。

歴史的には、風水を駆使して、龍頭に乗れた人物としては、周の太公望、三国志の諸葛孔明等が挙げられる。

人間は、刀を突きつけられると殺気を感じる。同じように、不安定で角張った建物に囲まれた人間は、無意識の内に殺気を感じることとなる。殺気を感じる状態で、仕事をする経営者は、経営の判断を誤り、企業の崩壊につながる失敗をする可能性が強まる。

風水では、建物の姿や周囲の環境による影響を検討する。あわせて、時代の潮流を読む。そして、企業や国家の栄枯盛衰を予言する。



「日本長期信用銀行の国有化と風水」

1998年10月、日本長期信用銀行実質破綻。私は、破綻のニュースを聞いて、一瞬、銀行という安全なシェルターに守られた企業人としての個人が失われる思いがした。これまでの大きな殻が割れると同時に、銀行破綻を予測した風水の恐ろしさに、足元の震えが止まらず、銀行破綻のテレビニュースを聞きながら悔し涙をながし続けた。

私は、銀行から加ト吉に派遣されていたことから、破綻直後、銀行の人事部に将来の相談に行った。人事部のコメントは、「銀行本体に帰る席は用意できないだろう。自ら生きる道を探した方がよい。」とのこと。要するに、暗に、リストラ勧告を受けた。私は、この際、銀行破綻を予言した風水に従い、時代の潮流、巨大な時の龍に我が身を投じる決断をし、破綻から2カ月後に銀行を退職した。退職と同時に、私学に通う子供の学費を払えるように、家内に対して、パートでなく、正社員として雇ってくれる先を探して欲しいと頼んだ。

日本長期信用銀行は、人事異動の辞令書を個人宛に出さない慣行があった。私にとっては1998年12月31日付けで、生まれて初めて受領した辞令書が、「人事グループ付参事役、古川令治、願により解職する」という内容であった。私は、今現在も、時代の潮流の恐ろしさ、破綻の悔しさの象徴として、この辞令書を肌身離さず持っている。

風水には、三元九運学説とういう時代の潮流を予言する理論がある。この理論によると、2003年までの時代は、企業の破綻が多発する時代で、企業の本社が、風水上の凶相を持つ場合には、企業破綻の可能性が高まるとされる。

1990年代初めに新築された日本長期信用銀行本店は、風水学上、凶相を持つ建物であった。遠くからは、逆三角形に見える建物は、不安定そのものであった。自らの敷地内に風水学でいわれる槍サツ[ヤリサツ=道路や通路が本店に向かってくる形]があった。更に、稜角サツ[リョウカクサツ=建物の角が本店に向かってくる形]、天斬サツ[テンジンサツ=鋭いビルの谷間が本店に向かってくる形]等の多くの凶相があった。大手都市銀行、長期信用銀行、信託銀行のなかでは、風水学上、最悪の建物であった。尚、現在は、照明の活用等により、凶悪な風が吹く夜間、安定した形に見えるような処置が講じられている。

私は、日本長期信用銀行新本店の新築時、本書の共同著者である横浜中華街風水倶楽部の風水研究家、謝先生と、同行の風水上の対応策を協議したことがあった。

私は、同行本店の受ける槍殺、稜角殺、天斬殺等の凶悪な風を防ぐため、風水八卦鏡を置いたらどうか主張した。この意見に対し、謝先生の見解は、一つ二つの八卦鏡では足らないということだった。

私としては、一つ二つでも、風水八卦鏡を飾れば、三元九運学説が予測する崩壊の嵐のなかで、少しでも安定を求めることができると考えた。そして、当時の日本長期信用銀行の役員に進言した。実際に、風水八卦鏡を渡し、香港での中国銀行と香港上海銀行の風水上の処置等を説明し、適切な対応が必要であると力説した。

残念ながら、日本では風水の考え方は浸透しておらず、迷信の世界に留まっていたので、日本長期信用銀行においても、本格的な風水の処置が講じられることはなかった。

香港の金融機関は、風水を大切に考え、財運方位に風水用品を飾る等の風水上の処置を講じている。建物も設計段階から、風水を考慮してる。これに対し、日本の金融機関は風水を迷信として、全く、考えていない。

当時の銀行の役員を香港上海銀行本店に案内した時、日本長期信用銀行本店をこのイメージで建てると話していた。実際に完成した日本長期信用銀行本店は、香港上海銀行本店のイメージに近いものだった。しかし、香港上海銀行のイメージには近いものの、風水を全く考えていない建物であった。

私は、日本長期信用銀行は、当時、大手都市銀行、長期信用銀行、信託銀行と比較した場合の資産内容は、決して悪い状況ではなかった。当時、上位都市銀行並の株式含み益を保有していた。日本長期信用銀行は、これらの銀行のなかで、風水上、最も悪い凶相の本店を建てたことが、銀行崩壊を導いたと考える。私の日本長期信用銀行役員に対する風水上の処置を講ずべきとする直談判が無視されたのは非常に残念だった。

家を新築した結果、家庭不和、登校拒否、家庭の不幸等が起こることがある。このような場合も、風水上の処置を誤ったケースが見受けられる。日本長期信用銀行の新本店建設と銀行破綻に繋がるものである。


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「ベンチャービジネス起業と風水」

私は、1976年に、日本長期信用銀行に入行した。1980年代に、中国の広州事務所に勤務した。広州では、中国の機関が発行するユーロ債の主幹事獲得や日本のサムライ債の主受託獲得などの実績を打ち立てた。その後、同行のマーチャントバンキンググループで、最先端の金融技術を駆使してビジネスを進めるセクションに所属した。そこでM&A部、海外不動産業務部行員として、不動産を切り口とした最先端のマーチャントバンキング業務に従事した。その後、人事グループ付参事役として、加ト吉に出向となった。同社では、取締役として国際業務を担当した。

私は、1998年10月の日本長期信用銀行の破綻直後、1998年12月同行退職。加ト吉に転籍した。しかし、風水三元九運学説が予言する企業の破綻と再生時代とは、同じ分野のビジネスで破綻した人物は、破綻したビジネスモデルの改良をすることにより再生が実現できると考えられた。この観点から金融ビジネスの破綻を経験した私が、再生の象徴する時代の潮流に乗るには、加ト吉での転籍の継続では十分でなかった。新たな金融ビジネスモデルの構築が必要であった。私にとって、マーチャントバンキングというビジネスで生きたいという夢も捨てられなかった。結局、2000年3月に加ト吉を退職し、2000年4月に、アセット・マネジャーズによるマーチャントバンキングビジネスを開始した。

私が考えた新しいビジネスモデルは、米国流のDCF(ディスカウントキャッシュフロー)手法を用いたあらゆる資産の流動化である。当時は、殆ど日本で使われていない、難しいモデルであった。しかし、現在は、竹中大臣により、金融庁による銀行検査の資産査定モデルとしてDCFが採用されている。

マーチャントバンカーとしての米国流のDCFに主眼を置いた金融技術を持つ個人が、企業のシェルターを外れた。自らが全てのリスクを取って仕事をするという点で、新しいタイプの企業誕生である。大企業の金看板は存在しない。新しい企業の誕生に向けての風水の護符は、風水羅盤、翡翠球、自宅に向けられた槍サツという悪運を防ぐ風水八凸面鏡と対の玉石獅子の配置であった。このような風水の護符に守られていることを信じての起業であった。

2000年4月に借りた事務所は、モンテベルデ築地という2DKのマンション一室。家賃は13万円。事務機器は、電話と家庭用ファックスのみであった。モンテベルベ築地は南に向けて走る晴海通りに面した建物である。東京の南を守る風水朱雀のエリアであり、風水上の位置は悪くない。

当時、この事務所に来た林は、私より先に、マーチャントバンキングビジネスの夢を追っていた。2000年3月まで、アセット・マネジャーズの前身であるコリヤーズアドバイザーズに所属していた。コリヤーズアドバイザーズは、米国コリヤーズモンローフリードランダー社のオーナーが設立した会社である。米国と日本をつなぐマーチャントバンキングビジネスの展開を目指し、1999年8月に設立された。

トーメン海外建設出身の林は、1999年8月にコリヤーズグループの一員になった。完全歩合という体系で、自ら稼がないと収入がゼロ。個人事業主の連合体という組織に所属していた。林は、トーメン時代のネットワークを活用して、マーチャントバンキングビジネスの実現を目指して頑張った。しかし、日本で、コリヤーズを知る人は少なく、海外と日本を結ぶビジネスを実現できる訳でもなかった。この結果、林は、毎月の所得がゼロという信じられないような地を這う生活が続いていた。林にとっては、1999年12月に毎月の収入がゼロのなかで、盲腸をこじらせた。腹膜炎で入院手術した時が、最大の危機であった。全ての新規ビジネスはストップした。収入ゼロの中での医療費負担がかさむという事態である。

林は、何度も、マーチャントバンカーへの道を断念し、サラリーマンに戻ることを考えたしかし、大企業のシェルターの下で生きるのではなく、個人として自立したいという強い信念を貫いた。サラリーマンに戻る道を阻んだ。 

しかし、コリヤーズアドバイザーズによる新事業は、風水が予言する破壊の潮流に飲まれ苦しい状況が更に苦しい。私は、風水の神にも見放されたと思い、米国の子会社によるスタートでは、再生は生まれないのかと嘆いた。

日本のコリヤーズアドバイザーズの代表取締役であった山内は、日商岩井出身。海外勤務経験も豊かで、バイリンガルとして、マーチャントバンキングビジネスの展開に努めていた。しかし、設立間もない企業では、案件が実現できなかった。自ら、個人の資金を持ち出して会社維持を図るのが精一杯であった。。

2000年4月に、私がコリヤーズアドバイザーズの100%株式を引き取ることとなった。アセット・マネジャーズのスタートである。風水上、時代の龍に乗るには、中途半端ではだめだ。自らが事業の主役にならざるを得ないとの苦渋の決断を下した。

社名について、私が山内に、マーチャント・バンカーズにするかアセット・マネージャーズしたいと相談した。山内は、アセット・マネジャーズがよいとうことで、この名前で落ち着いた。しかし、私は、将来、風水の世界に誕生する巨大な時代龍の頭に乗ることにチャレンジしようと思った。アセット・マネジャーズ株式会社を自己資本1兆円以上の金融会社に育てる夢を持ち、夢が実現すれば、マーチャントバンカーズに社名を変えたいと考えていた。

大きな夢に対しての現実は非常に厳しい状況であった。2002年4月の時点では、毎月の収入がゼロ同然。苦しい状況であった。狭いマンションの家賃支払いも心配であった。毎日、出前弁当を頼み、付け払いをしながらの、まさに敗者が集まったビジネスのスタートであった。

風水が予言する破壊時代の影響を受けた人材(勤務先の破綻、リストラ退職等)のリベンジとしての起業時の風水は次の通りである。

★自宅についての風水を調査し、槍サツ、稜角サツ、天斬サツ等への処置を講じる。
★自宅に玉石獅子、水晶七星陣等を飾り、運勢の上昇を祈念する。
★起業時の開業予定事務所についての風水を調査し、吉形が多く凶形の少ない場所を選ぶ
★ビルの階層については、生年による大吉の階を選ぶ。

☆生年による大吉階
子年生:1・4・6・9・11・14・16・19・21・24・26・29階
丑年生:2・5・7・10・12・15・17・20・22・25・27階
寅年生:1・3・6・8・11・13・16・18・21・23・26・28階
卯年生:1・3・6・8・11・13・16・18・21・23・26・28階
辰年生:2・5・7・10・12・15・17・20・22・25・27階
巳年生:2・3・7・8・12・13・17・18・22・23・27・28階
午年生:2・3・7・8・12・13・17・18・22・23・27・28階
未年生:2・5・7・10・12・15・17・20・22・25・27階
申年生:4・5・9・10・14・15・19・20・24・25・29階
酉年生:4・5・9・10・14・15・19・20・24・25・29階
戌年生:2・5・7・10・12・15・17・20・22・25・27階
亥年生:1・4・6・9・11・14・16・19・21・24・26・29階



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「初めてのビッグビジネスと風水」

私は、アセット・マネジャーズが起業した2000年4月の時点で、西武百貨店池袋店のDCF(キャシュフロー分析)に主眼を置いた証券化を提案していた。まだ、日本で、不動産の証券化が一般的でない時点の提案であり、実現への道は、厳しい状況であった。

多くの関係者は、路線価からみて、1000億円レンジでの証券化実現は困難という意見であった。

しかし、私は、不動産の価値は、路線価でなく、不動産が生むキャッシュフローであると主張した。DCF分析こそが不動産の評価を決めると主張した。西武百貨店池袋店の強力な営業キャッシュを生む力が不動産の価値であるとして、証券化の実現にチャレンジした
不動産が生みだす収入にもとづき、実物不動産を信託受益権に変換させる証券化のビジネスモデルこそが、新しい不動産市場の再生になる。不動産市場において、風水が予言する破壊の次に来る再生は、証券化のビジネスモデルであると信じた。私は、このモデルが実現できると時代の潮流に乗るキッカケになると考えた。

私の意見については、モルガンスタンレー、CSFBでの勤務経験のあり、独立系M&Aハウスに勤務している草刈が、全面的に賛成をしてくれた。草刈は、古川の主張を裏付ける詳細なキャッシュフロー分析の資料を作成し、関係者への説得に努めた。   

西武百貨店池袋店の証券化進めるに際して、証券会社はメリルリンチを選択した。メリルリンチを選択した経緯は、私の日本長期信用銀行時代の部下であった吉成の紹介による。吉成の友人「石川」が同社に勤めており、吉成の推薦を受けて、石川宛、証券化への協力依頼に訪問した。

吉成は、日本長期信用銀行M&A部時代に、米国ウォートンスクールのMBAを取得し、現在は、外資系企業にて、マーチャントバンカーとして活躍している。

2000年8月にムーディズが、西武百貨店池袋店の証券化商品について、トリプルA(Aaa)400億円からダブルB(Ba2)118億円に至る評価を発表した。1081億円の外部調達が実現した。当時、日本で初めての1000億円を越える不動産証券化商品の誕生であった。400億円ものトリプルA社債が発行された点と、118億円ものダブルB社債が発行された点も画期的な内容であった。

路線価、積算価格に基づく不動産鑑定の概念とは異なる、キャッシュフローをベースとした評価が採用された。当時としては、日本最大規模の証券化の実現でだ。

私と林、草刈は、ムーディズの評価が出た日、日本の直接金融市場の歴史を変えられると喜んだ。嬉しくて、加ト吉グループの居酒屋「村さ来」で、夜遅くまで飲んだ。この時、私は、初めて、破壊時代の直接的な影響を受けた人間は、再生時代の潮流に乗れるのではないかとの期待を持った。

山内は、当時、海外と日本を結ぶクロスボーダービジネスに注力していた。米国コリヤーズモンローフリードランダーとのネットワークを生かし、数々のM&Aを仕掛けていた。
2002年2月に、米国コリヤーズモンローフリードランダーとのジョイントによる案件が成立した。上場会社グループが所有していた米国ホテルの海外投資家によるM&Aである。山内がマーチャントバンカーとしてアレンジした中の大きな実現案件であった。私は風水が予言する再生時代の潮流が見方についてきたと考えた。

私と、山内、林でスタートしたチームは、2000年8月の西武百貨店池袋店の不動産証券化が実現させ、トラックレコードを打ち立てた。マーチャントバンカーの生き甲斐は、ツームストーンというトラックレコードを記載した置物を増やすことである。

アセット・マネジャーズは、2000年10月に、大久保の競売物件を1500万円で取得し、築地からに大久保に本社を移転した。毎月の収入ゼロを心配する状態は続いていたしかし、築地でのマンション賃料14万円の支払が不要となることの喜びは大きいものであった。

大久保の競売物件は、大久保通りと明通りの交差点付近で、大久保通りに面した大久保フジビルの1室である。東京の北を守る風水玄武のエリアであり、引越しの場所としては悪くない。私にとっては風水上の吉相の階にあたった。

初めての仕事に向けた風水は、次のように考える。

★相性、感性の合う取引先や友人の協力を仰ぐ。
★新しいビジネスモデルを考え出し、財運神に報告すること。財運神とは、家の中心からみて玄関と反対側(玄武方位)、家の奥に、ヒキュウ(風水 における伝説上の動物)・六帝古銭・黄水晶の樹・クリスタル・観葉植物等を飾ると財 運神が到来する。
★朝夕、複式呼吸(ゆっくりと静かに深い呼吸する)を八回する。仕事で難局に遭遇した 場合には、詩を唄う。「私は空気であり光である。私が水の時は飄々と流れる。」とい う言葉を繰り返す。心を清らかにし、気を静める。そして、難局を打開するアイデアを 考える。
★1週7日間、1日24時間を通して、取引先に呼ばれたら30分以内に伺える体制を取 る。孟母三遷のごとく、仕事の側に住む覚悟をし、仕事に向かう方位は吉を選ぶ。



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「企業の業容拡大に向けた風水」

大久保に本社を移転し、20坪の事務所を持てたことで、人員を増加できる体制が整った

2000年11月には、安田信託銀行出身の小林が、アセット・マネジャーズにジョインした。小林は、安田信託銀行の投資運用部門で活躍した人材で、ベンチャービジネスの分野で有名なマーチャントバンカーである。
 
2001年に入り、アセット・マネジャーズは、倒産会社がオリジネーター(原不動産所有者)となる案件を実現させた。10年以上をかけて宅地開発を行い、分譲するという証券化商品である。200億円近い規模の証券化商品で、調達の中には、適格水準を取得した格付社債も含まれている。倒産会社でも証券化が行えるという点と、本格的な開発型証券化案件という点で、直接金融市場に大きなインパクトを与えた。

2001年7月には、日本長期信用銀行の国際金融開発部出身の一木が、アセット・マネジャーズにジョインした。一木は、米国ディズニーランドが日本から得られるロイヤリティ収入の流動化を実現させた中核メンバーの一人であった。航空機リース業務等もこなせ幅広い分野で活躍できるマーチャントバンカーである。

アセット・マネジャーズは2001年9月に、不動産ファンドを運営するPIテクノロジーと合併した。この合併により、本社を日本橋三井ビル2号館とした。PIテクノロジーは、広島本社の東証一部上場企業、アーバンコーポレイションの子会社であった。アセット・マネジャーズは、新光証券M&Aセクションの紹介を受け、合併を合意した。

アセット・マネジャーズは、合併に伴い、不動産ファンドを運営する機能を保有した。これにより、インベストメントバンキングの機能も所有するマーチャントバンクを目指すこととなった。

私、古川の祖父、祖母の生まれは広島であり、広島は縁のある土地である。風水四神(青龍、白虎、玄武、朱雀)の庇護を感じた。私は、PIテクノロジーとの合併は、本当に時代の潮流に乗れるチャンスが来たと実感した。創業2期、合併半年の決算で、上場を目指そうと決断した。日本では、合併半年で上場した例はない。しかし、PIテクノロジーは2000年3月起業、アセット・マネジャーズは2000年4月起業、2001年9月に合併。風水が予言する時代の潮流に乗るためのタイムリミットは、2003年末であり(破壊と再生の時代の終了年)、残された時間がない。

私は、マーチャントバンキングビジネスとは、卓越した語学力、分析力、予知力を有するマーチャントバンカーによる斡旋業務と定義する。私にとっての予知力の源泉は風水である。

マーチャントバンキングにおける斡旋の対象は、商材・業務から始まり、資産・企業に至る。幅広い分野が、仕事のターゲットとなる。マーチャントバンキングビジネスは、マーチャントバンカーという個人の集合体が連携して実現させるビジネスである。日本長期信用銀行が破綻。同行がリードした日本のマーチャントバンキングビジネスも壊滅。しかし風水が予言する新しい時代の潮流に乗れれば、再生・復活は可能だ。

私は、破綻した日本長期信用銀行でのマーチャントバンキングビジネスの失敗を分析し、新しいビジネスモデルを組み立てている。

サラリーマンである銀行員によるビジネスと、実質的に個人事業主に近いマーチャントバンカーの集合体によるビジネスとは、自ずと異なる。マーチャントバンカーは、自らの収入は自ら稼ぐという当たり前のことを実践する。日本の金融界では忘れられた原理をビジネスモデルとした。アセット・マネジャーズの場合、従来型の給与による社員は一人もいない。社員全員が成功報酬契約か年俸契約である。

日本の旧来型ビジネスモデルをスクラップしてこそビルドが実現する。スクラップ、アンド、ビルドこそが、新たな事業を生み出す。幽霊企業が立ち止まっていると、後ろにいる健全な大企業まで躓いてしまう。幽霊企業の邪魔がはいる。すると、ベンチャービジネス誕生のためる揺籃の器が生まれない。

ビジネスモデルのゴールは、不動産証券化やクロスボーダーM&Aの分野で、トラックレコードを打ち立て、ツームストーン(完了記念の置物)の山を作ることである。ツームストーンは、マーチャントバンキング業界のゴールドメダルである。ツームストーンの山を風水財運方位(オフィスの中の玄武方位)に飾ると、更に、多くの新しい案件が呼び込まれる。成功した仕事が新しい仕事を呼び込むという風水上の処方である。

2002年1月に、私と林で、香港にあるケイマン法の弁護士事務所に訪問した時には、数多くの証券化商品のツームストーンが飾ってあった。我々は、弁護士事務所に飾ってあるツームストーン提供者のベスト10に入ろうと誓った。アセット・マネジャーズのグローバル10計画である。世界の潮流に乗るには、世界レベルに成功しているオフィスの財運方位に自らのツームストーンの山を飾ることである。世界企業への道を開ける風水上の処方である。

インベストメントバンクとマーチャントバンクの違いについて、アセット・マネジャーズのマーチャントバンキンググループ本部長である青木は、次のように考えている。「我々が目指すマーチャントバンクとは、あらゆる機会においてフィービジネスを狙うことだ。斡旋により発生する様々なビジネスチャンスへの高度な金融技術を駆使したサービスである。商品をニーズのある顧客・投資家等へ提案・提供する。スタッフは、その為に、不動産に限らず、M&A、リース、金融商品等々に関する幅広い知識を網羅しなければならない一方、インベストメントバンクとは、マーチャントバンクより狭義の意味合いを成す。つまり、マーチャントバンキングより発生する(創出する)投資機会・投資商品への投資によりビジネスチャンスを狙うものだ。」
 
企業の業容拡大と発展に向けた風水は、次のように考える。

★相性、感性の合う人材の受け入
★旧来型ビジネスモデルのスクラップと新モデルによるビルド
★相性、感性のあう相手との合併や増資資金の受け入れ
★財運神に事業実績を報告し、新たなビジネスの到来を祈念すること



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「企業の新規上場に向けた風水」

PIテクノロジーとアセット・マネジャーズが2001年9月に合併。風水が予言する時代の潮流に乗るためのタイムリミットは2003年末である。私は、残された時間が無いことから、新しいマーチャントバンキングビジネスへの集中を決めた。

現在のマーチャントバンキンググループ本部長である青木は、当時ファンド事業部長であった。青木は、一級建築士の資格を有し、不動産に詳しい流動化の専門家として、次々と新しい不動産ファンドの組成を進めた。合併時には、一つのファンドしか持たなかったアセット・マネジャーズは、1年後には、ノンリコースローンを加えた6種類のファンドを持つようになった。青木は、まさに、風水の青龍が天に昇るごとき勢いで、案件を進め、新しいマーチャントバンキングビジネスの中核を担った。

アセット・マネジャーズは、6種類の不動産ファンドを組成したことにより、合併後半年の決算を持って、2002年11月に上場を実現できた。

ノンリコースローンというのは、不動産物件を担保とし、不動産から生み出される収益を返済原資とした貸出である。借入れ人の個人保証やコーポレートのリスクなどが一切付かないローンとしての特徴を持つ。現在、日本では物件の生む収益の方が金利の額より大きい状況にある。だから、ノンリコースローンを借りて物件を取得すると20年程度で元本が返済できる。エクイティ部分の利回りは、非常に高い利回りを確保できるというレバレッジ効果を生むことも可能。これが日本の不動産流動化分野でのノンリコースローンの特徴といえる。

従来の不動産の評価というのは、収益ベースではなく、路線価や売買事例がベースとなっていた。このため、不動産価格の動きが非常に激しいといった特徴があった。このため、1990年代に入って、バブル崩壊と同時に不動産価格は大幅に値下がりした。そういう意味では、日本の不動産市場は、非常に不合理で不安定な市場がずっと続いていたと考えられる。しかし、西武百貨店池袋店の証券化が実現した2000年くらいから「不動産の証券化」という時代が本格化してきた。不動産は、路線価や売買事例ではなく、収益(家賃)をベースに価値を評価するという新しい手法が日本にも入ってきた。私は、この考え方が広まれば、これまでの不動産取引のギャンブル的要素が少なくなり、安定した不動産取引の時代に変わっていくのではないかと考える。
このような私の考えを裏付ける風水の予言は次の通りである。

第一段階:風水下元七運時代初期[1984年〜1990年](悦楽の時代)
不動産市場は、悦楽、放蕩の潮流のなかで高騰し、バブル市場を生み出す。

第二段階:風水下元七運時代中期[1991年〜1997年](破壊の意義)
非常に不合理で不安定な日本の不動産市場は、バブル崩壊と共に破壊が始まる。

第三段階:風水下元七運時代後期[1998年〜2003年](再生の意義)
不動産市場は、崩壊本格化の中で、再生が始まる。
路線価・売買事例ではなく、収益をベースに不動産価値を評価する手法(DCF)が普及。

第四段階:風水下元八運時代初期[2004年〜2010年](安定の意義)
不動産市場の再生が本格化し、安定した市場の実現し、DCFが評価のメインになる。

米国の不動産市場には、日本のような公示価格や路線価といった考え方はない。米国では収益をベースにして不動産価値を算定する。、このため、米国の不動産は日本に比べ値上がり・値下がりの幅が小さく、安定している。金利に連動して値上がり・値下がりが起こる。不動産は、金融商品の1つであり、金融機関が行う業務の1つであるという捉え方をする。実際に、米国で大手の不動産の流動化をアレンジをしているのは、ゴールドマンザックス、モルガンスタンレー、CSFB(ファースト・ボストン)、CBリチャードエリスなどの金融機関や金融会社である。日本では、一部売買は信託銀行がアレンジしているが、基本的には金融というより不動産業務の範疇で捕えられていた。そして、不動産価値の算定は売買事例や路線価であり、収益ベースではないという点で、米国の不動産と大きな違いがあった。しかし今後は、日本の不動産は米国型に変わっていくのは時代の趨勢である。

企業上場に向けた風水上の処置は次の通りである。

★事務所の中央からみた玄関と反対の奥側、玄武(財運)の方位に風水羅盤と乾坤宝照図 を飾る。
★会社の創業を唄う漢詩を書き、青龍(上昇運)の方位に飾る。同方位に壁掛け龍を飾る
★上昇志向の強い人材を中核に据えて、青龍(上昇運)方位を担わせる。
★奥行きの深い人材を管理責任者に据えて、玄武(財運・安定)方位で業務を遂行させる。


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「巨大な時代龍に乗るための風水」

私は、風水が予言する時代の趨勢の掌握し、風水巨大龍の頭に乗るべくチャレンジを続けている。現在、アセット・マネジャーズの全リソースを投入して、マーチャントバンキングビジネスに注力している。

マーチャントバンカーの市場価値は、トラックレコードによって決定される。試験によって資格が取れるという世界ではない。ツームストーンを提出し、そこに記載された案件規模の合計によって個人の力量が判断される。

マーチャントバンカーに必要な素養とは、卓越したプレゼンテーション能力である。加えて、金融、不動産、法務、会計、税務等の知識と語学力を有していることである。卓越した語学力を有する人をバイリンガルというが、アセット・マネジャーズでは、日本語・英語・中国語が使えるトリリンガル(=トリプルリンガルの略)をマーチャントバンカーの理想としている。英語のみでは、アジア圏でのマーチャントバンキングビジネスの推進は困難である。

マーチャントバンカーに必要な金融技術の一つは、「リバースエンジニアリング」の案件への応用である。「リバースエンジニアリング」とは、分析手法を駆使して大体の将来像(リバージョン・バリュー)を予測する手法である。企業や資産を購入する場合の金融技術を意味する。私は、日本長期信用銀行のマーチャントバンキング業務では、リバースエンジニアリングの考え方を強く導入しなかったことが失敗の原因と考える。

新しいビジネスモデルは、自立した個人によるマーチャントバンカーの集合体を組織化。要所に、トリリンガルを配置し、リバースエンジニアリングを核に据えた金融技術の開発を進める。このモデルにより、崩壊したマーチャントバンキングを不死鳥のごとく再生したい。

風水は、大企業のシェルターの下にいるサラリーマンに対し、警告を発する。所属する企業の殻を壊し、飛び出し、個人として自立をして欲しいと。風水の予言する次の時代での主役になれるのは、破壊の渦を抜け出し、再生と自立を実現した人材である。マーチャントバンカーへの道は全ての人に対し、オープンである。

アセット・マネジャーズは、2003年8月現在、常勤取締役4名、社員22名の会社である。社員22名の内8名が部長である。更に、22名の社員の内5名が他の上場会社の非常勤役員を勤めている。各々の部長は、ディールメーカー(案件を主導的に組成する人材)を兼ねるマーチャントバンカーである。私は、青木取締役の風水青龍(上昇運)イメージを感じるのと同様、各々の役員、部長は、青龍、朱雀、白虎、玄武のイメージに分けている。

風水の考え方に、四神相応思想がある。東方の青龍、南方の朱雀、西方の白虎、北方の玄武が各方位を守るとされている。平安京から江戸に至る都市建設は、四神相応思想により作られている。私は、アセット・マネジャーズを一つのミニ都市と捉え、帝国ホテルタワー内の本社を取り囲む形で、青龍、朱雀、白虎、玄武が守るイメージを描いている。例えば、アセット・マネジャーズの大久保事務所は、北の守る玄武のイメージ「安定、山、台地」に則した社員を配置している。

アセット・マネジャーズは、2002年11月に、2期決算を経て、ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)最後の銘柄として上場を果たした。2カ月後の2003年1月には、大証2部上場会社の新日本紡績(現、アセット・インベスターズ)を買収。同社株式53%を公開買い付け、TOBによる買収し、子会社とした。

私は、不動産流動化の世界から、企業買収(M&A)の世界へのビジネス分野を広げることにより、グローバルなマーチャントバンキングへの道が開かれると考えた。不動産分野のみでは、風水が予言する巨大な時代龍の頭に乗ることは難しい。

私は、トリリンガルを企業として、巨大な時代龍の頭に乗るチャレンジを続けたい。新規不動産ファンド組成に加え、M&Aファンドの組成、国内外でのM&A実施やアレンジを進めている。

四神相応思想の採用の他、上場後の風水の処置としては、次のような内容があげられる。・上場記念の盾を、本社大会議室の財運方位に飾る。

★各部屋の財運方位に観葉植物を飾る
★勤務する部屋の香り注意を払う
★天災に備え、防災用品を完備する
★上昇運を象徴する壁掛け龍を青龍方位に飾る。
★トルマリンや翡翠の護符、猫眼やスターサファイア等のネクタイピンを身につける
★職員には純銀八卦ペンダント、マネージメント層には純金八卦ペンダントを渡し、護符とする
★不慮の事故を起こしたり、運の悪い役職員には、風水乾坤宝照図を渡し、護符とする


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