中国北京大学での講演原稿(2006年9月26日北京での筆者中国語講演原稿の概要翻訳)

講演テーマ:資産の証券化とアジア共同通貨の未来

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皆様こんにちは、古川令治と申します。本日は大変お忙しいなか、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
北京大学のこの演壇に立っている私は、いま大変感慨無量です。私は以前普通の銀行員で、今様の呼び方で言えば、一介の「サラリーマン」でした。大学卒業後、私は日本長期信用銀行で22年間を務めました。初めは、証券販売と貸付業務を担当し、その後、長期信用銀行の派遣で、台湾へ留学して、中国語を勉強しました。その後、長期信用銀行広州事務所へ首席代表として駐在しました。帰国後、投資銀行業務を担当、数年後、取締役として加ト吉へ出向しました。
皆様ご存知の通り、日本では、多くの大手企業が実質終身雇用制を実行していた。特に銀行に勤めしている人達は、「金の茶碗」を持っているように思われていた。バブルの時代では、誰一人自分がある日解雇されることがあるとは予想もしませんでした。しかし、20世紀の終わり90年代に入って、バブル崩壊後、長期信用銀行の経営は、大きな困難に遭遇しました。当時日経平均は39000円から8000円まで暴落し、多くの会社は倒産した。やがて、1998年11月、私は20年あまり務めた日本長期信用銀行は国有化され、実質倒産となりました。
私は今でも、当時の情景をはっきりと覚えています。私は、加ト吉東京支社のテレビで、長銀国有化のことをはじめて知りました。そのときの私は、ニュースを見ながら、足の震えがとまりませんでした。じっとテレビを見つめて、自分は涙が流れていたことさえ気付きませんでした。本日に至っても、私はそのときの恐怖感を忘れることができません。
銀行倒産のことを知り、私は直ちに人事部門に行って、責任者と相談しました。しかし、銀行倒産の政策に従い、40歳以上の社員は、新たなよい仕事はありませんと言われました。私は当時既に40を過ぎ、つまり「金の茶碗」は打ち砕かれて、私は自分で出口を探さなければならなくなりました。
2000年3月に、アセット・マネジャーズ(株)を設立しました。私としては、20年以上の投資銀行業界の経験を無駄にしたくありませんでした。私は以前から、資産証券化の技術が、不良債権問題を解決するに、最も相応しい手段だと思っていました。この機会を利用して、前から考えていたビジネスモデルを実現したいと思います。
胸の中の青写真は非常に綺麗なものの、創業当時の環境は楽観できるものではありませんでした。私と他の3人のパートナーは、東京で2Kのマンションを借りて、事務所として事業を始めました。家賃は月13万円、約人民元8000元程度でしょう。設備は電話一台と、家庭用のファックス機だけでした。給与は、成功報酬制で、つまり、案件成功した場合でしか、給料をもらえない制度です。あの時の私は、毎日一番安い弁当を食べながら、家賃を払えなくなることを日々心配していました。
しかし、こんな状況のなか、ようやく第一歩を踏み出した。2000年8月、私たちが実施した「西武百貨店証券化」案件は、一夜で日本金融業界が長い間持ち続けていた不動産評価の考え方を逆転することとなりました。以前日本の銀行の考え方では、不動産評価の金額は、近隣の不動産取引価額で判定していました。当時西武百貨店の池袋店は流動資金が乏しく、保有不動産を担保に入れる場合は、従来の考え方で評価する場合、500億〜600億の借入しかできない状況でした。私たちは、アメリカで盛んに使われているDCF法(Discounted Cash Flow)を導入することにしました。この方法の原理は簡単ですが、実施するには非常に複雑なため、日本ではほとんど採用されることがありませんでした。その上、資産証券化の手法は当時ではまた受け入れられていませんでした。多くの同業者は、従来の不動産評価理論で、西武百貨店は資産証券化によって、1000億を調達することなど無理だと判断していました。しかし我々は、不動産の価値は、予想できる将来の収益で判断すべきだと信じていました。西武百貨店の価値は、その運営によって生まれてくる大量の流動資金によって決まります。私たちが設計した資産証券化によって、最終的に1080億の資金を調達することができて、当時日本国内において資産証券化の最高記録をつくりました。
この案件が終った後、私たちは競売により、東京大久保にある一軒の小さなオフィスを購入した。本日のアセット・マネジャーズ本社事務所は、著名な東京帝国ホテルタワーにありますが、私は今でもあの時初めて事務所を持つことができたことの喜びを忘れることができません。そのときから、家賃のことを毎日心配する日々とはお別れしました(笑)。
中国の古い諺に「塞翁失馬,焉知非福」というのがあります。日本長期信用銀行が倒産したとき、私自身は既に40歳を過ぎで、事業をゼロからスタートせざる得ない状況でした。しかし、それは運命の悪戯ではなく、人生が私に与えた一つのチャンスでした。私はこの機会に、長い間考えてきたことを現実に変えることができました。
アセット・マネジャーズ創業2年後の2002年、日本ナスタック市場に上場した。上場当時の時価総額は50億円から、現在の1500億円になりました。今の会社の事業は非常に安定して、私が考えていたビジネスモデルは検証されました。しかし、これは私が長いこと考えてきたことを現実に変える第一歩に過ぎません。
皆様も多分私と同様に、為替の変動で多少経済的に損したことがあるでしょう。現在、中国からの旅行者が東京成田空港で1人民元を日本円に両替すると、約12円になります。帰国時に日本円12円を両替すると約0.8人民元になります。両替するだけで往復約20%の負担が発生します。これは日本円も人民元も基準通貨でないことから生まれる問題です。基準通貨を持たない国の大きな弱みの一つと言えます。
皆様もご存知の様に、現在米ドルは依然として国際市場の基準通貨(Key Currency)として使われ、国際貿易の主な決済手段となっています。外国貿易をしている人にとって、為替レートの変動は、最も大きなリスクの一つです。簡単な例で言えば、1ドル180円のときに資金を投下した海外プロジェクトカンパニーは、たとえ当初の計画通りに運営されても、その時の為替レートが1ドル120円となると、投資の3分の1は消えてなくなってしまいます。
私たち国際業務を行なっている者にとって、為替レートの変動は、常識的なものですが、実際にアメリカの企業は、為替リスクについてほとんど心配がないのである。そして、為替リスクという言葉そのものを知らないCFO(最高財務責任者)もたくさんおります。これは基準通貨の有利性とはいえます。
一つの国として、基準通貨を発行することができれば、世界の経済を左右することが可能となります。1枚1枚の紙幣は、実際に国が発行したゼロ金利の小口国債です。デフレの心配がないとすれば、通貨を発行する権利を有すれば、事実上ゼロ金利を合法的に享受できます。この通貨を使用する地域が広ければ広いほど、発行する国にとって有利です。もし世界中の国々がみんな、パナマのように自国の紙幣を発行せず、米ドルを使用すれば、アメリカの中央銀行は世界銀行になります。事実上現在、国連でさえも、アメリカの意識を非常に強く反映しています。経済には人々の価値観に影響し、社会を動かす力が存在します。もしこれから、世界の経済政策のすべてがアメリカを主体とし、世界中の国々が皆アメリカの追従者となるようになることは、本日ご来場の皆様が願うことではないでしょう。
私は1999年から、日本3大経済機関の一つ経済同友会に参加しました。2004年経済同友会「世界の中の日本の使命を考える委員会」の副委員長に選ばれました。「世界の中の日本の使命を考える委員会」は2005年「アジア共通通貨」の創設に関する提言を発表し、当時日本経済新聞、読売新聞、産経新聞、共同通信ほか、多くのメディアに報道されました。2005年、私は経済同友会「中国委員会」副委員長に選ばれました。「中国委員会」は2006年に「日中政府へのメッセージ」の提言を発表しました。しかし、我々はその提言のなか、小泉総理靖国参拝に反対する意見もとり入れたため、多くのマスコミに取り上げられたのは、アジア共通通貨のことではなく、靖国問題の部分でした。
たくさんの「アジア共通通貨」に関する評論の中、この理論に賛同意見を示したものもあれば、実施するには困難であるという意見もありました。この理論をさらに深く研究し、2005年末、ダイヤモンド出版社から私が編纂した「円、元、消滅」を出版しました。この本の副題は「共通通貨がアジア平和を実現する」でした。いかなる国においても、経済の安定は、必ず社会の安定に繋がります。安定した経済の発展には、安定した外国為替市場が必要である。しかし今の外国為替市場は、ドルとユーロの2極世界であって、国際通貨としての円の立場はますます弱まっていく。中国は世界貿易機関に加入するに伴い、金融分野の自由化も進められ、円と同じように国際通貨への道に歩むでしょう。しかし、ドルとユーロと対等的な国際通貨の立場を確定するには、決して容易なことではありません。私個人の考えでは、日中両国経済が成長するためには、将来人民元と円の外国為替市場での戦略を考量し、しっかりとした通貨協定を締結するが望ましい。もっと遠い目で見れば、我々今後の課題は、アジア通貨制度を研究することと、東アジア通貨単位を検討することにあります。東京金融市場及び、これから開設されるであろう上海国際金融センターにおいて、新しいアジア通貨を基準とした証券を発行できれば、ドルとユーロとの三極世界が実現できます。
中国古代に、秦の始皇帝が6国の通貨を統一した話があり、近代においてもドイツは、かつて持っていた強い通貨であるマルクを放棄することにより、ユーロの誕生に拍車をかけたわけであります。通貨の統合は、社会の安定と経済の発展をもたらしていました。もっと大胆のことを言わせていただけましたら、この理論の元に、世界共通の通貨が生まれてくれれば、ドルもユーロも、アジア共通通貨も同時に消滅してくれれば、戦争のない平和な世界を実現できると思います。
私個人の考えでは、一つの例として、この巨大のプロジェクトは6段階に分けて、実現することができると思います。
第一段階(2012年まで)
現時点で国際通貨である日本圓、香港圓、韓国圓のバスケット通貨単位の創設。
通貨でなく単なる通貨単位であるため、大きな国内法の法改正は不要。
日本・香港・韓国の金融機関や企業によるバスケット通貨単位債券の発行が実現。
第二段階(2015年まで)
中国元を通貨単位として加えたバスケット通貨単位の創設。
2010年以降の中国元の国際通貨としての流通が本格的するのと併せて、中国元を加えたアジア通貨単位を実現。
中国の大手金融機関によるアジア通貨単位債券の発行が実現。
第三段階(2020年まで)
アジア共通通貨、亜州新圓の発行。
中国、日本、韓国が中心となりバスケット通貨単位でなく、共通通貨を発行し、流通させる。各国通貨と共通通貨が共存。
北朝鮮の参加も求める。北朝鮮が同じ通貨を取り扱うこととなれば、同一の経済圏に入り、北朝鮮の孤立を救うこととなる。
第四段階(2025年まで)
各国通貨の発行を止め、共通通貨に一本化。アジア通貨紙幣を発行。
中国、日本、韓国が共通の金融政策を採用し、発券銀行たるアジア中央銀行(ACB)を設立。
第五段階(2030年まで)
ロシア、インドを巻き込む。
ユーラシア大陸の国々が、中国・日本・韓国と共通の金融政策を採用する場合、アジア通貨への参加を認める。
第六段階(2040年まで)
ユーロ、米ドルを巻き込む。
世界最大の通貨であるアジア通貨に、ユーロ、USドルの参加を求め、世界通貨を実現。
世界単一の経済圏を実現させ、戦争のない平和な世界の実現を目指す。
この図式は次の通り。
通貨統合実現→同一通貨の範囲は同一経済主体→同一経済主体では、その経済主体全体の発展が求められる→同一経済主体内での搾取、被搾取は行われにくくなる→同一経済主体内での戦争は無意味となる。
要約すれば、新しいアジア共通通貨が、ドル、ユーロに勝つのに、約30年かかります。この新しいアジア通貨を発行するまでは、約20年かかります。この新しいアジア通貨単位の研究は、五年で完成できるはずです。この我々が新しく開設した東アジア一体化研究センターにおいて、この通貨単位に関する研究が生まれるのを、私は心から願っております。
もし、アセット・マネジャーズを創立したのが、私の人生の転換点とすれば、北京大学兼職教授になった本日は、私の新しいスタートになります。私は今日、たくさんの若い顔をみることができまして、自分も若くなった気がします(笑)。若い頭脳からは必ず新しいアイディアが生まれてきます。どうか、私たちのこの貴重なアイディアをアイディアに留めずに、実現させることができるように、私は皆様と共に頑張っていきたいと思います。

何卒宜しくお願い申し上げます。

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